栃木県宇都宮市に伝わる「関白流獅子舞」

関白流獅子舞の「関白」とは、藤原利仁公のことであろう。この獅子舞は主に室町時代に成立して、天明の大飢饉の頃に宇都宮や日光に広まったものと思われる。

下野国(しもつけのくに)は宇都宮を中心とした現在の栃木県のことであり、武蔵国(東京都府中市・国分寺市・調布市などと埼玉県)に隣接する令制国である。武蔵国を起源とする賊徒が逃げ延びたか、もしくは勢力を拡大して下野国に拠点を持っていたのかも知れない。

武蔵国は東山道により下野国に繋がっていたとの考察があり、「東山道武蔵路(むさしみち)」と呼ぶようだ。

参考:武蔵国は東山道に属していた時期があった            http://best-times.jp/articles/-/6744

 

鞍馬蓋寺縁起には「下野国高座山のほとりに、群盗 蟻のごとくにあつまりて、千人党を結べり」とあり、高座山という山を物理的に確定できれば、盗賊退治の伝承を、より史実性が高いものとして扱えることになる。これについては栃木県宇都宮市に現存する「関白山神社」を「高座山神社」と呼んでいた時代があるようなので、この神社の存在する場所もしくはその周辺を高座山と呼んでいたのかも知れない。また、すぐ近くの「白山神社」の由緒には下記のように記述がある。

社傳に曰く人皇五十三代淳和天皇の御宇天長二年825三月の
勸請なり 其后延喜十二年912鎭守府将軍藤原利仁敕命を蒙り
當國に下向し高座山の賊蔵宗蔵安を追討せる時當社に戦勝を祈り
各靈境と共に崇敬あり

参考:栃木県の神社kyonsight                  http://kyonsight.com/jt/miyakita/kanpaku.html

 

貞観(じょうがん)は、日本の元号の一つ。天安の後、元慶の前。
859年から877年までの期間を指す。この時代の天皇は清和天皇
(在位期間858年12月15日 - 876年12月18日)
延喜(えんぎ)は、日本の元号の一つ。昌泰の後、延長の前。
901年から923年までの期間を指す。この時代の天皇は醍醐天皇。
(在位期間897年8月14日 - 930年10月16日)

 

 

 

栃木県内には、六十近くの獅子舞団体があるが、本県の獅子舞の
特徴の一つに、流派を名乗る獅子舞が多いことがあげられる。
中でも宇都宮市関白の「関白神獅子舞」を祖とする関自流獅子舞と、
日光市文挟に所在した獅子舞を柤とする文挟流獅子舞は、
本県獅子舞の二大流派として知られる。関白神獅子舞は、
地元に残る文書記録から、元禄十(一六九七)年ころには存在して
いたことが知れる。当初は個人的な意味合いが強く、後に道具の
管理等の面から関白村の獅子舞となったものである。
ともあれ関白獅子舞は、本県の獅子舞の中では起源が古く、
各方面から注目された。先の文書記録によると、元禄十年ころに
宇都宮藩主の前で獅子舞を披露している。天保九(一八三八)年に
行われた宇都宮大明神(現、二荒山神社)社殿再建時の地鎮祭では、
地固めの獅子舞を行っている。一方、各地より獅子舞伝授の
要望もあった。塩谷町船生寺小路には、文化七二八一〇)年に
関白村よりの獅子舞伝授書が、宇都宮市中里西組、同横倉には
天保九年の伝授書等があり伝授の様子が窺える。こうした
関白獅子舞の活動に一大改革の時期が訪れる。時は明治初期、
天皇親政の新時代において、どのように対処したら村の発展に
繋がるか、村民は腐心を巡らしたのである。村民が着目したのは、
この地に伝わる平安時代の武将、藤原利仁の賊徒退治の伝説
であった。利仁伝説は京都鞍馬寺の「鞍馬蓋寺縁起」に記されて
おり、概略は「その昔、下野国高座山の麓に蔵宗蔵安兄弟が首領
となる賊徒達が民衆を苦しめていた。利仁は天皇の命を受けて
派遣された。高座山の麓に兵を率いて到着したのが六月十五日、
ところが利仁は降雪を予感し橇を作り戦いに備え、深雪に難儀
する賊徒達を見事打ち破る」という話である。関白村では、
この話の後にさらに「利仁が亡くなり、葬儀の際に天気が急変した。
それは悪魔の仕業であるとして獅子をかたどり舞った。
すると雲が晴れて利仁の亡骸を無事埋葬することが出来たので、
以来、獅子舞を行っている」といった話を付け加え、
関白獅子舞の由来話を作り上げたのである。その上に、
高座山の賊徒退治の話を獅子舞化して「鬼退治の舞」を新たに
創り、明治十二二八七九)年には、利仁を祭神とする
高座山神社(現、関白山神社)を祀り、そしてこれら一連の
ことを「天下一神獅子由来之巻」として書き記し、
巻物するとともに、新たに獅子舞伝授書を作成したのである。
こうした活動は、明治新政府に関白村民が抱いてきた
尊王の心を認めてもらいたいとの思いと、これを機に
関白獅子舞の名を高め、流派を確立することにあったと思われる。
その狙いは見事に当たった。高座山神社は明治新政府より
神社として認められ、また、従来より関係の深かった所はもとより、
多くの獅子舞伝承地から先の巻物や伝授書の依頼が舞い込み、
県内各地に関白流獅子舞が花開いたのである。 時代の変革に
どのように対処したらよいか、関白の人々の明治初期の活動は、
その手本といえよう。(in-for.kir.jp 宇都宮大学HP)

 

 

 

関白流下小林獅子舞

小林の獅子舞は、風流系一人立三頭獅子の関白流獅子舞です。
舞役は雄獅子2人、雌獅子1人、庭役は額持ち、弓持ち、棒使い2人、
花籠4人、鬼、道化役、笛方などから成り立っています。毎年、
8月16日に小林瀧尾神社において、奉納獅子舞が行われています。

 

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