鞍馬蓋寺縁起の「蔵宗・蔵安」

京都の鞍馬寺(くらまでら)に伝わる鞍馬寺史『鞍馬蓋寺縁起』(あんばがいじえんぎ)には私案抄よりも詳しい内容で利仁伝説が記述されている。

盗賊については「蔵宗・蔵」と記述されており、「蔵宗卿」との関連を思わせる。しかし「群盗・賊徒・異類・凶徒」と表現され公卿の末裔だとしたら不名誉な扱いである。鞍馬蓋寺縁起には藤原利仁についての他のエピソードが含まれており、説話性が高い。同じ事件を私案抄(武蔵国の深大寺)では「当国ノ国司」と記述しており、鞍馬蓋寺縁起よりも史実に近いものと思われる。

 

第四段 又鎮守府将軍藤原利仁と云ふ人あり、武勇淵偉にして将帥たるに
足れり、突厥の類、歸服せずといふ事なし、爰に下野国高座山のほとりに、
群盗 蟻のごとくにあつまりて、千人党を結べり、藏宗藏安其前鋒たり、
關東よりの朝用雑物彼党類の爲に常に被抄劫 国の蠱害唯以て在之。

第五段 これによりて亦公家有テ評議忽其人をゑらぶに天下の推ところ
編ニ利仁にあり、異類誅罸すべきよし宣旨を下され、利仁精撰を悅と
いへども、尚かちがたき事を恐れて、仍天王の加被を仰で當山に参詣し、
立願祈精ス即チ示現あり、鞭をあげて下野国に進發し、高座山のふもとに
下着す、于時六月十五日 なり、心におもふところありてたちまちに
橇(かんじき)をつくらしむ、やうやく深更に及で、近く腹心の武臣を
めして、天雪降やと問ふ、郎従將略を知ずして、天はれたりと答ぬ。
将軍大ニ怒て忽に劔を賜てころさしむ。

第六段 又少し時をへて他の勇士をめして前のごとく問ふ、前事の
いましめをおもひていつはりて雪ふるよしを答ふ、利仁甘心服鷹ス。
半夜に及で、陰雲四含、白雪高ク積ル萬壑千岩高下を隔ず、徐々至曙ニ天晴
雪止、利仁千里の籌をめぐらして、四方の兵を率して、鹿敷(かつ)を
つけて、鵝毛をおそれず。賊徒飢凍して寸歩することあたはず、利仁
乗勝逐逃ヲ以テ常千、遂に凶徒を切て馘を献ず、これによつて名威天下に
振ひ武略海外にかまびすし、即チ宿願をとげむが爲に、毘沙門天王の像を
造顯す、當寺において開眼供養ス帯するところの劔をとひて大天荘巌の
ためにす、忽夢の告ありて我これを納受せず、彼千人の首をきる劔を以て
我劔たるべしと云々、夢覚て後即施入し奉る、爰に従兵の中、此劔を
好ム者あり遂にやむことなくして、夜中ひそかに寶殿をひらき玉體の間に
ちかづけば腰底の雄劔よもすがら昇降す、仰レ之彌高跛キ踵(シュ)
及がたし、直下在地携ル手ヲ不至、洞天己明ニ、倫兒逃去、仍尊像を
劔惜天王とも號したてまつる、脱其 神剣ヲ蘊納す、寶殿天下在乏窺翫
せずといふこどなし。

 

【鞍馬蓋寺縁起】

大日本佛教全書・119(仏書刊行会)の99ページ目

        鞍馬蓋寺縁起の全文

(上から3枚目の画像、左ページから利仁伝説)

 

 

 

 

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