藤原安棟
武蔵国司に 867年〈貞観9年〉2月11日任 – 877?、従五位下、『日本三代実録』。藤原葛野麻呂の子。母は山輪王の女(山輪王については全く情報なし)。
「武蔵国司蔵宗卿」とは藤原安棟が無念にも官職を解かれた後の呼称と思われる。しかし「武蔵国司蔵宗卿については元来、皇室の出」という研究者の資料があるため藤原家の人物では無いかも知れない。その場合、この説はまったくの間違えであるのかも知れない。しかし、「武蔵国司蔵宗卿」の嫡流が「藤原」として数百年の間、存在していたことも事実である。
著名な皇別氏族
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%88%A5
「皇室の出」とは通常、臣籍降下のこととなる。「源(みなもと)」や「平(たいら)」の姓を賜った氏族が主だったもので「武蔵国司蔵宗卿」の候補としては、貞観6年(864年)武蔵権守に任ぜられた平有世がいる。清和天皇の践祚後まもなく左馬助に任ぜられ、貞観6年(864年)武蔵権守となる。藤原安棟と同様その後、正史からは消えている。
「源平藤橘」を広い意味での皇別氏族とみなせば、藤原氏や橘氏も含まれる。橘春成は藤原安棟の前任の武蔵守だが、着任の翌月に大膳大夫として京官に復しているので除外とする。佐伯子房はのちに陸奥鎮守将軍に出世しているので除外とする。
実際に存在する「武蔵国司蔵宗卿」の末裔が「藤原氏」であることから、藤原氏宗(右大臣)の弟である「藤原安棟」を「武蔵国司蔵宗卿」の第一候補とする。
