武蔵国司蔵宗卿

 武蔵国司蔵宗卿についての情報を集約したいと思う。しかし、深大寺関連の情報が全てである。「蔵宗卿」というのは通称であって、尊卑分脈、国司補任などに記載される正式な人物の名称では無い。「清和天皇貞観年中」とあるが「恵亮和尚」は貞観2年(860年)に没しているので、この2年間で終結した事件であると考えるのが自然である。しかし清和天皇は元慶5年(881年)に崩御されているので貞観年中の事件であった可能性も捨てきれない。貞観年中であれば「藤原元利万侶」の事件が日本三代実録には記載されており、現役の国司であれば同様に記載されたものと思われる(但し、意図的に記載されなかった、もしくは後に消去された可能性もある)。いずれにしても、もともと貞観前後の情報は少なく、応仁の乱(1477年から約10年)で焼失してしまった資料に含まれていた可能性が高い為、想像の域を超えられないのかも知れない。

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